この記事は、私が祖父(2018年7月に永眠)の介護にかかわった約8か月の体験を元にしています。
私は介護にかかわること自体初めてで、何の知識もありませんでした。そんな私が最後まで祖父の介護にかかわることができたのは、ケアマネージャーさんやヘルパーさん、訪問看護師さん、主治医の先生など多くの人達の助けがあったからです。
今になって当時を振り返ると、「あの時ああすればよかった」など反省することも多いです。その体験が少しでも誰かの役に立てば嬉しいと思い、記事にすることにしました。
この祖父の介護の記事は私の実体験を語りながら、感じたことや反省したこと、そして介護や医療関係者から受けたアドバイスなどもご紹介します。
今回は私が介護にかかわるきっかけになった祖父の入院と、退院後に認知症の症状が出現した経緯についてご紹介したいと思います。
- 私が祖父の介護にかかわることになったきっかけは?
- 1人暮らしの祖父の自宅が想像を絶するほどひどかった!
- 退院後、祖父に異変!意味不明なことを言い出した!
- 祖父の意味不明な言動が認知症の症状と発覚!
- まとめ
私が祖父の介護にかかわることになったきっかけは?
実は私は介護にかかわることになるまで、祖父とは1年に1回会うか、会わないかという疎遠な関係でした。なのでまさか自分が祖父の介護にかかわることになるなんて、思ってもいませんでした。
祖父は祖母が長期入院してからずっと1人暮らしで、足は悪かったものの90歳とは思えないほど元気な人でした。人に口出しされるのを嫌うタイプで、たとえば「それ消費期限が過ぎてるから食べない方がいい」など祖父のことを思って助言しても聞き入れる人ではありませんでした。
きっかけは祖父の入院
そんな祖父の介護に私がかかわることになったきっかけは、2017年11月の中旬に祖父が入院したことでした。
その日の朝に祖父が電話に出ないと、私の父の弟(遠方に住んでいる)から電話があり、両親が祖父の様子を見に我が家から1時間強かかる祖父の自宅に向かいました。
そこで自室から動けなくなっている祖父を発見、救急車を呼んで病院に搬送、そこから別の病院に搬送という事態になりました。祖父は腎不全で一時は命も危ない状況で、朝から出かけた両親が帰って来たのは23時頃でした。
私は次の日に母と一緒に入院手続きに行き、祖父がお世話になっていたデイサービスなどに入院の連絡を入れました。
ケアマネージャーさんと話をしたのもこの日が初めてで、私は祖父の介護関係を一切把握しておらず、「ケアマネージャーです」と言われても何をしている人なのかさっぱりわかりませんでした。
入院手続きを終え、祖父に会いに行くと思ったより元気で驚きました。容体が安定した後も「透析が必要になるかもしれない」と言われていたので。その後に主治医の先生から説明があり、透析も必要ないと言われ、これで祖父が退院すれば全て元通りだと思いました。
退院後少しの間様子を見ることはあっても、それが過ぎれば以前のように1年に1回会うか、会わないかという状態に戻ると思っていたのです。
1人暮らしの祖父の自宅が想像を絶するほどひどかった!
入院手続きをした次の日、私は1人で祖父の自宅に向かいました。祖父は結局1週間ほどで退院することになり、主治医の先生から退院までに祖父の生活環境を整えるように言われたからです。
でもやることと言ったら、冷蔵庫の中を見て賞味期限が切れているものを捨てるくらいだ、と軽く考えていました。詳しくは知らなかったものの、ヘルパーさんに入ってもらっていることは聞いていたので、私がやることなんて特にないだろうと思っていたのです。
ところがその予想は大きく外れました。祖父の自宅は、それはそれはひどい状態だったのです。
まともな人間が住めるような状態じゃない
祖父の自宅は足を踏み入れるのも躊躇するほど、ひどい有様でした。キッチンを中心に家全体にゴキブリがうようよいて、ゴミは溜まり放題。トイレは汚れた下着が落ちており、便器は真っ黒。祖父の処方薬は、テーブルの上やあちこちの引き出しからバラバラ出てくる。
初めて入った寝室もめちゃくちゃで、布団やベッドの下はうじ虫だらけ。ダイニングテーブルには食べかけの食品がじかに置かれており、ストックされている食品は賞味期限切ればかり。
窓には汚れたカーテンが何重にも打ち付けられており、室内は昼間なのに薄暗く異様な雰囲気。和室にぐちゃぐちゃに丸められた布団を開いてみると、糞便がベットリ。そこにうじ虫がわいていました。
ゴキブリはともかく、うじ虫は人生で初めて見ました。地獄のような光景です。とにかく、とてもまともな人間が住めるような状態ではなかったんです。
正直こんな状態の家に住んでいれば、誰でも病気になるに決まっていると思いました。
ヘルパーさんに来てもらっているはずなのに
「ヘルパーさんに入って貰っているはずなのに、この状況は一体どういうこと?」と私は疑問に思いました。このときの私はヘルパーさんのお仕事に関して何の知識もなく、ヘルパーさんに入って貰えば何でも全てやって貰えるものだと思っていました。
なので正直「お金を払って雇っているのに全く仕事をしていない!」と怒りを覚えました。
このまま放置しておくことはできないので、私は知り合ったばかりのケアマネージャーさんに連絡し、部屋の惨状を伝え、雇っているヘルパーさんとも直接話したいと訴えました。(この件に関しては祖父の介護⑥でお話しします)
地獄のような室内を必死で片付ける
それはともかくひどすぎる状態の部屋を、祖父が退院するまでになんとかしなければなりません。あの大量のゴキブリやうじ虫のことを考えると、正直泣きたいくらいの気持ちでした。
はっきり言って「なんで私がこんなことをやらなきゃいけないんだ!」と叫びたかったんですが、どれだけ泣き言を言おうとやるしかありません。祖父が退院するまでの約1週間、私は母と協力して毎日のように祖父の自宅に通い片づけをしました。
布団は使えるものを残して処分し、大量に沸いているゴキブリやうじ虫を駆除し、カーテンは全て引っぺがして新しいものと交換しました。燃えるゴミが30袋以上出る大仕事でした。
結局片付けは、祖父の退院の前日までかかりました。繰り返しになりますが、祖父の家は私の自宅から1時間強かかる距離にありました。朝の9時台に祖父の自宅に着き、我が家へ帰るのは20時を過ぎる、ということも珍しくない毎日でした。
そうやって本当に苦労して、ようやく人が住める状態にしたんです。そうして退院日に祖父を迎えに行き、一緒に祖父の自宅に戻りました。
退院後、祖父に異変!意味不明なことを言い出した!
退院したその日、自宅に戻った祖父は玄関を入ってすぐ室内の変化に気づき驚いていました。室内は完璧とは言えませんが以前とは比べ物にならないくらいキレイになっていたので、驚くのも無理はありません。
部屋がひどい状態だったので片づけたこと、新しく購入したものなどを説明すると、祖父は「キレイになった。ありがとう」と言っていました。
その日から4日後の朝に、祖父から私の自宅に電話がありました。最初は「体調がよくないからデイサービスを休む」と言っていたのですが、それは本題ではありませんでした。祖父は「お金がない、とられた」と言い出したのです。
祖父が言っているとられたお金というのは、私の父(祖父の息子)が祖父の了解を得て預かったお金のことでした。
祖父は自宅にまとまったお金を置いており、入院したその日に祖父自身が「入院中自宅にお金を置いていたら心配だ」と言ったので、私の父が通帳なども含めて預かることになったのです。
このことは入院手続きに行った日にも改めて祖父に「うちが預かっています」と話し、祖父も「それなら安心や」と言っていました。
ちゃんと説明したのに「お金をとられた!」
預かったお金は少額ではなく、そのときは祖父がいつ退院するかわからなかったので私の父が銀行に預けていました。それは祖父の退院の日に返せたらよかったのですが、休日だったことや私の父の仕事の関係で、次の週末に返すことになっていました。
その日までは祖父が買い物に行く必要がないようにして、念のため数万円を祖父に渡していました。そのことは退院した日に祖父にきちんと説明し、祖父も「わかった」と言っていたのです。
それなのに祖父は、そのお金がない、とられたと言ったので驚きました。様子がおかしいと思ったものの、私は「お金はうちで預かっていて、それを祖父も了承した」、「週末にお金を返しに行く」ということを繰り返し説明しました。
電話の子機から「バカヤロー」?
するとしばらくして祖父は、2日前に新しく設置した電話の子機から「バカヤロー」と聞こえると言い出しました。最初は電話番号をかけ間違えた相手にそう言われたのかと思ったのですが、祖父に説明を求めてもまともな答えは返ってきません。
これはいよいよおかしい、そう思った私は次の日に母と2人で祖父の自宅に向かいました。
祖父の意味不明な言動が認知症の症状と発覚!
祖父の自宅に着いてすぐ、祖父が完全におかしくなっていることがわかりました。顔つきや目つきも異様で、「お金がない、とられた」と繰り返し訴えます。
更に「子機からバカヤローと聞こえる」と、前日に電話で聞いたことをまた言い、そのうえ「液晶画面にも数字でバカヤローと出る」、「おまえのとことなんか契約してないと怒鳴られた」など、意味不明なことばかり言いました。
祖父は子機から聞こえてきたと言うのですが、その子機はコンセントごと引っこ抜かれ充電も切れていました。つまり繋がる訳がないのです。
さらに祖父は子機の使い方がわからなかったようで(説明はしましたが)、ダイヤルを回すこともできない状態でした。つまり電話をかけ間違えて、相手に怒鳴られたということも考えられない訳です。
液晶画面に数字でバカヤローと出る?
「液晶画面に数字でバカヤローと出る」と言うのも、全く意味がわかりません。でも90歳なので昔そう読める数字でもあったのかなと思い、本人に「バカヤローと読める数字ってどんな数字ですか?」と聞いてみたのですが、それに対しての答えはなく、同じ文句を繰り返すばかりでした。
「おまえのとことなんか契約してないと怒鳴られた」ということに対しても、「どこに電話をかけて、誰にそんなことを言われたのですか?」と尋ねてもまともな答えは返ってきません。
何度も何度も同じ話を聞きましたが、要するに祖父は充電の切れた子機をダイヤルも回すことなく耳にあてたら「バカヤロー」とか、「おまえのとことなんか契約してない」などと言われた、と私に訴えているようでした。
当然ですが、そんなことは現実的に起こる訳がありません。祖父本人は激怒しており、私を責めるように文句を言ってくるのですが、正直私は「はぁ?なに意味不明なこと言ってんの?」と思っていました。
意味不明なことを延々と言い続ける
もちろんそれをそのまま口に出してはいませんが、支離滅裂な話を延々と繰り返され、こちらの話は一切聞いてくれないので、私は正直うんざりしていました。
それでなくても、この日まで祖父のことで忙しくしていたので、身体的にも精神的にも疲れていたのです。(なにしろ大量のゴキブリやうじ虫の駆除、糞便だらけの布団などを片付けたんですから)
それでも私は念のため子機を調べ、固定電話も線をつなぎ直したりしたのですが、祖父はそれを見て「その電話とは契約してないから使えない!NTTとしか契約してない!」などと言い出し、母がなだめても延々と文句を言い続けました。
それで私はイラッとしてしまい、つい祖父に大きな声を出してしまいました。(この件については祖父の介護④でお話しします)
ヘルパーの事務所を変えたことへの不満を言いだす
それから祖父は少し大人しくなったものの、更に「ヘルパーの事業所を勝手に変えた」、「前のヘルパーがよかったのに」などとブツブツ文句を言いました。
事業所を変えたのは私ではなくケアマネージャーさんで、正当な理由がありました。祖父の自宅があまりにひどい状態だったので、ヘルパーさんと直接話したいという私の希望を伝えるため、ケアマネージャーさんが事業所に電話したところ、全く連絡がつかなかったのです。
電話に出ない、留守電を10回以上入れても折り返しの電話がないという状態で、「こんな事業所は切りましょう」と言われ、私は当然だと思ったので了承しました。このことは祖父には順を追ってきちんと説明し、祖父も「わかった」と言っていました。
また祖父は「前のヘルパーがよかった」と言いましたが、ゴキブリやうじ虫が大量に沸いている状態を放置していたヘルパーさんのどのあたりがよかったのか、さっぱりわかりませんでした。
私はその人に直接会っていないので、もしかすると何か理由があったのかもしれませんが、それでも事業所に全く連絡がつかなかった訳ですから、何か後ろ暗いことでもあったのでは?と思っても仕方がないでしょう。
ケアマネージャーさんに連絡
祖父があまりにおかしなことばかり言うので、私はケアマネージャーさんに連絡し祖父の言動を伝えました。すると「それは認知症の症状です」と言われました。
それからすぐにケアマネージャーさんが祖父の自宅まで来て下さり、今の「要支援2」のままではどうにもならないので、介護レベルを上げて貰おうという話になりました。これには主治医の先生の主治医意見書が必要と言われたので、そのことを午後からの診療時間に先生に伝えに行くことになりました。
その話をしているときは祖父も少し落ち着いていました。なので、まさかこれからとんでもないことが起こるなんて想像もしていませんでした。
まとめ
今回は私が介護にかかわるきっかけになった祖父の入院と、退院後に認知症の症状が出現した経緯についてご紹介しました。
今回のお話は祖父の介護③に続きます。この後祖父はなんと「お金をとられた!」と言って警察を呼びました。それで大騒ぎになるのですが……。
もしそちらのお話も興味があれば、読んで頂けたら嬉しいです。
※ちなみに前回の記事はこちら↓